スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

白虎隊の悲劇は江のせいなのか?

浅井三姉妹 AZAISM浅井三姉妹 AZAISM / gabuken

江はかなりヒステリックで嫉妬深いと一般的に言われてる。
姉の淀君や、母のお市、叔父の信長なんかもヒステリックだから、これって織田の血のせいなんだろか。
そして、彼女のダンナの徳川秀忠は家康もあきれるほどの律義な性格で、さらに恐妻家だったらしい。
だから側室をひとりも置かなかったんだけど、生涯で一度だけ、浮気した。
お相手は、乳母の侍女の静ちゃん。
そしたらあろうことか、子供が出来ちゃった。
カミさんが怖い秀忠は、生まれた息子をこっそり見性院(武田信玄の侍女、穴山信君の正室)に預け、その後、その縁でその子は高遠藩主・保科正光の養子となった。
3代将軍家光はその事実を知り、江の死後(!)秀忠と面会させ、さらに秀忠死後はこの有能な弟をかわいがり、松平の姓も与えて最終的に会津藩主に引き立てた。
正之はその恩を忘れず、徳川家への忠誠を生涯貫いたというわけ。
そして正之はその臨終の際、遺言として「何があっても、他大名がすべて徳川家を裏切っても、わが松平家は徳川家への忠誠心を絶対に捨てるな」という言葉を残したの。
教育熱心で謹直な会津藩は代々、殿様から下級藩士にいたるまで、この教えを守っていったわけだが、これが幕末になって足枷になったと言っていいかどうか。
この教えがあるから、松平容保は京都守護職を不本意ながら請け、本当に不本意ながら朝敵になってしまった。
そして、藩を挙げて徳川家のために最期まで戦うこととなった。
徳川慶喜に戦う意思が全くないのに、初代藩主の遺言を守り、戦った。
白虎隊として散った若い藩士たちもまた会津藩士、その遺言から逃れることはできなかったんだろうな。
江がもし嫉妬深くなかったら、白虎隊の悲劇はなかったかも知れん。
ていうか、書いてるうちに正之の遺言のせいのような気がしてきたけど(笑)。
ただ、この真っすぐな会津の士風は、日本史の中の一服の清涼剤のように、清々しい気分にさせてくれるよな。
正にサムライ、日本人も捨てたもんじゃないな、と思える。

会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)会津落城―戊辰戦争最大の悲劇 (中公新書)
(2003/12)
星 亮一

商品詳細を見る

コメント

コメントの投稿

非公開コメント


プロフィール

コバヤシマサキ

Author:コバヤシマサキ
こんにちは。
1972年4月生まれ、40歳、既婚、子供3人。

ブロガーとして生きることができるか模索中でありチャレンジ中。

ブログ内検索
リンク
雅王のPCゲームブログ
便利!
スポンサードリンク

月別アーカイブ
色々と…


あわせて読みたい

with Ajax Amazon

カウンター
カウンター2
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

RSSフィード
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
日記
1766位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
会社員・OL
359位
アクセスランキングを見る>>

ブログパーツ ラシックス
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。